全力で業界支える 組合設立の立役者 県交通安全施設業協同組合(金子鉄也専務理事インタビュー)

[2023/2/24 千葉版]
20230224a 道路標識・区画線などの視認性と施工技術の向上を図り、良好な交通安全施設の維持管理を担う千葉県交通安全施設業協同組合(増田孝理事長)。県民が安全・安心して利用できる道路環境づくりと、組合員企業の安定経営の両立に取り組んできた。この業界に50年以上関わり、組合設立の立役者として組合を支え続ける金子鉄也専務理事に話を聞いた。

 組合の設立は2005年。当時、千葉県交通安全施設業協会と全国道路標識・標示業協会(全標協)関東支部千葉県協会に二分されていた県の安全施設団体に、全標協千葉県協会の会長だった茂木芳和氏と金子氏が中心となって統合を働きかけた。一方の団体に吸収合併では将来に禍根を残すと考え、「地場産業は千葉県の名を冠する組合が望ましい」と、新団体とすることを強く推したという。

 初代の専務理事として積極的な組合活動に取り組み、田中昭一元衆議院議員や川名寛章県議らの協力を得て、三顧の礼で元県土木部長の故鈴木忠治氏を顧問に迎えた。「鈴木氏が理事長を務める観光立県支援フォーラムに事務局長として参加することで、さまざまな分野の人脈が広がり、組合活動の強力な推進剤となった」と金子氏は振り返る。

 若潮国体が開催された1973年、20代半ばで道路関連資材の企業に出向し、地元でもある本県を担当していた金子氏は「これから千葉の道路は伸びる」と直感し、自ら交通安全施設の業界を選んだ。上司から「まずは指名業者に入ることだ」と言われ、県の出先機関1カ所を半年間、欠かさず訪れた。朝から夕方まで顔を出すことで、「毎日ここで何をしているのか」と役人の興味を引き、指名獲得に至ったという。

 「今の若い人たちは商談で相手からダメと言われたらすぐに引き下がる。自分たちの世代は、なぜダメなのかと、そこからスタート。相手にはまず自分に興味を持ってもらい、商品はその次だ」と語る。この攻める姿勢と入念な下準備で粘り強く役所と交渉を継続したことが、組合員企業の受注機会増につながったと自負する。

 県との関係も良好で、昨年12月30日に君津市内の国道410号で道路の崩落が起きた際は、金子氏の携帯電話に道路環境課から「現場で片側通行をするための信号機が用意できないか」と連絡が入った。事態の緊急性を察した金子氏は組合員数社に打診、必要な機材を用意することで、県の要望に応える組合の有用性を示した。

 健康面にも不安はなく、組合活動を精力的にこなす金子氏だが、後任育成が容易でないことが悩みの種だ。自らが構築した全標協との協力体制、カーブミラーや道路標識の点検ボランティアと県土整備部への報告・陳情、チャリティーゴルフでの募金などシステムは継承できるが、人づきあいなどは引継ぎが難しいと顔を曇らせる。「近い将来にやってくる車の自動運転技術では、道路の白線が明瞭なことも重要。自分たちが自動運転を支える主役にもなり得る」と、組合のさらなる発展を見据える。

 最後に金子氏は「人材育成を含め、このまま放り出すことはできない。体力の続く限り組合を支えたい」と意気込みを語った。

【プロフィル】
かねこ・てつや 1942年船橋市生まれ。県交通安全施設業協同組合事務局長兼専務理事。ゴルフではエイジシュート(年齢以下のスコアでラウンド)、書道をたしなみ、短歌の投稿で入選するなど多芸に通じる。「おしゃれは自己満足、身だしなみは相手に対する礼儀」と話す。おしゃべりだが口は固いと評される。

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