排出側の意見でいい施設に 改称に併せて参加呼びかけ(千葉県産業資源循環協会・杉田昭義会長)
[2018/5/30 千葉版]
29年5月の定時総会で、30年近く会長職を務めた石井邦夫氏(30年2月に急逝)に代わり、千葉県産業廃棄物協会の第3代会長となった杉田昭義氏(杉田建材、市原市)。以降、30年3月に県との家畜伝染病発生時の防疫協定の締結、同4月には「千葉県産業資源循環協会」への改称と、その手が休まらない。就任から丸1年が経過、現在、そしてこれからの取り組みを聞いた。
──ご自身のこれまでを振り返ると。
「30年ほど前に最終処分場だった家業に入り、以降、この協会で理事もやり、後半17年間は副会長として前会長を補佐しました。入職した昭和60年代は、まだ多くの処分場がありましたが、平成2年には県外からの持ち込みが抑制されるようになるなど、全国で不法投棄などの問題が指摘されるようになりました」
──ご自身の職歴と重なっている。
「新たな処分場が作りにくくなる中、大きな出来事だったのが阪神・淡路大震災です。これにより最終処分場は必要なものだという意識が生まれました。その後の東日本大震災や熊本地震で、復興に不可欠だという認識が行政側でも深まり、各県でバラバラだった指導を国が統一する動きにもつながりました。
その中でわれわれも処分場のレベルアップを図るため、適正な維持管理へのマニュアルを作ったり、研修を続けたりしています。適正処理が当たり前な時代にするため、いい施設に作り変えなきゃならない。行政にも育成面で手伝ってもらい、この業界が次のステップに進める仕組みづくりを手伝いたいと思っています。資源循環型の環境に配慮した施設を持ち、かつ災害からの復興には頼もしいと思われる業界でなければなりません」
──改称の経緯は。
「環境省の所管部局の名称も変更となり、上部団体も全国産業資源循環連合会に変更されることからこれに倣(なら)うことにしました。ただし単なる改称でなく、併せて排出側の事業者を新たに正会員に迎え、それと処理業者が連携した、適正処理と再生利用の普及拡大を図り、循環型社会の構築を目指すこととしました」
──具体的には。
「排出側一者一者に入会してもらおうというのではなく、自治体ごとにあったりする建設系や医療系などの団体に発信して、地域ごとにある課題について意見を聴きたい。行政に聞くのも限界があるので、セミナーの開催などをこちらから仕掛けて、的を射た意見があれば施設作りに反映していけると思います」
──業界を取り巻く現況は。
「産廃処理施設は必要施設ではありますが、やはり『迷惑施設』と思っている住民の方々もいます。処理業者の中には地域の雇用の創出や経済の発展に寄与している業者もおり、このような動きを促すことが業界の地位向上には重要です。全国団体でも資源循環を促進するための産廃処理産業の振興に関する法律案の大綱をまとめたところです」
──抱えている課題は。またそれに対する要望は。
「人材の確保はやはり課題で、技術力の維持や継承も困難になっています。また、廃棄物の発生量が減少する中、同業者の競争が激しいこと、また、排出事業者の意識が高くないことなどがあります。行政には優良な産廃処理業者が評価される仕組みづくりや排出事業者責任の徹底、資格制度の充実などを求めています」
──イメージアップなどは。
「県民講座として産廃処理施設の見学会を開いたり、子供を対象とした夏休みエコ絵画コンクールへの協賛は毎年続けています。今後は小中学生を対象とした環境学習の普及を、将来の労働者不足対策の意味合いも含めて検討していく予定です」
◆杉田 昭義(すぎた あきよし)
県の協会では平成元年の監事就任から役員を務め、平成3年には理事、平成7年には青年部の初代部会長に就任。平成12年に副会長、平成29年5月から会長。
全国産業資源循環連合会(旧全国産業廃棄物連合会)でも平成11年から最終処分部会運営委員、同16年に同部会副部会長。平成22年には全産廃連理事及び最終処分部会部会長に着任。
◆一般社団法人千葉県産業資源循環協会
昭和53年12月に任意団体の「千葉県産業廃棄物処理業協会」として創立し、翌54年10月に社団法人化。平成元年に「千葉県産業廃棄物協会」、平成30年4月には現名称に変更された。産業廃棄物の排出事業者と処理業者が連携し、産業廃棄物の適正な処理と再生利用の普及、拡大・定着を促進し、資源循環の推進による産業の健全な発展並びに公衆衛生の向上、生活環境の保全を図り、これにより循環型社会の構築と県民の福祉の向上に寄与することを目指している。現在の正会員数は405社。